UCSD - Statistics専攻 - Ryosaku
プロフィール
| 出身コミカレ | Diablo Valley College |
|---|---|
| 専攻 | Statistics |
| 合格大学 | UC San Diego |
| 進学先大学 | UC San Diego |
インタビュー
— UCに編入するまでの経緯について —
Q. 日本の高校卒業後、どのように進路を決めましたか?
A.高校を卒業したのは2022年3月です。同世代の多くと同じように日本での進学を選びましたが、その中でも自分が進んだのは「防衛大学校」でした。朝6時に起きて点呼をし、そのあと授業を受けるという生活で、毎日やることはハッキリしているし、外から見ると「立派な進路」に見えるかもしれません。 ただ、自分の中ではだんだんと違和感が大きくなっていきました。「国を守る」という言葉はすごくかっこいいし、人に話すと立派に聞こえるけれど、実際の生活の中で、自分が本当にそれを『自分ごと』として捉えられている感覚がなかったんです。戦争が起きているわけでもない中で、「自分は何を守っているんだろう?」というモヤモヤがずっと消えませんでした。 そこで、「人生は一回しかないよな」という思いが強くなりました。このまま惰性で続けるより、一度リセットして自分が本当にワクワクする方に賭けてみたいと思い、防衛大学校をやめる決断をしました。その「思い切りの決断」が、最終的にアメリカ留学へつながっています。
Q. アメリカ留学を決めたきっかけ、そして編入を目指した理由を教えてください。
A.アメリカ留学の背景には、両親の存在が大きいです。お母さんは英語の先生のプログラムでオーストラリアに2ヶ月ほど滞在したことがあり、お父さんはプロ野球・ヤクルトの選手として、カリフォルニアのサリナスの近くで約1年半、野球留学をしていました。小さい頃から、そういった「海外に出て挑戦した話」を聞きながら育ってきたので、普通の家庭よりも海外が身近に感じられていたと思います。お母さんが英語の先生だったこともあり、幼い頃から英検を受けさせてもらったり、Kumonに通ったりして、英語にはずっと触れていました。中学2年生のときには英検2級を持っていて、クラスでも「英語だけは誰にも負けない」と思えるくらい得意でした。ほかの教科はそこまででもなかったけれど、英語だけは本当に自信があったんです。その成功体験が、「自分は海外でも戦えるかもしれない」という自己イメージにつながりました。一方で、高校生の頃に「アメリカの大学に行きたい」と思って調べてみると、お金もかかるし行き方も分からない。現実的ではないと感じて、一度はその夢を諦めました。なので、防衛大学校→中退→再スタート、という流れの中で、もう一度「どうしても海外に行きたい」という気持ちが戻ってきた感じです。そこで知ったのが、「コミュニティカレッジからUCに編入できる」というルートでした。しかも、自分の周りには UC を目指している人たちがたくさんいて、DVCのルームメイトも超・志の高い人たちばかりでした。その中の一人が、実際に UC Berkeley の Haas に合格した福山くんで、「同年代でここまでやる人がいるんだ」と間近で見たことで、自分も本気でUCを目指すようになりました。
— 専攻・成績について —
Q. どこのコミュニティカレッジに通っていて、どの大学に編入合格されましたか?
A.DVCというコミュニティカレッジに通っていました。 出願したのは UC Berkeley、UCLA、UC San Diego の3校です。そのうち、Berkeley と UCLA はウェイトリスト(補欠)で、繰り上がることはありませんでした。最終的に UC San Diego からウェイトリスト経由で合格をもらい、今は UCSD に編入しています。 なので、「ストレート合格」というよりは、3つともいったんウェイトリストで、そこからUCSDだけ繰り上がった という形です。
Q. 専攻は何ですか?また、その専攻を選んだ理由を教えてください。
A. 専攻は Statistics(統計学) です。 もともとコミュニティカレッジに入学したときは、Data Science をやりたい と思っていました。理由はシンプルで、 - やりたいことがまだハッキリ決まっていなかった - IT系に関わってみたい - 将来お金になりそうな分野に行きたい という3つくらいの感情が合わさって、「じゃあData Scienceかな」という感じで選びました。数学も得意だったので、その点でも相性が良さそうだと考えていました。ただ、実際にCS(コンピューターサイエンス)の授業などを取りながら、自分が将来的にガッツリ「データサイエンティスト」や「ソフトウェアエンジニア」としてやっていくイメージが、そこまで強くは持てないことにも気づきました。 一方で、数学をベースにして物事を考えること自体は好きだったので、より数学寄りで、かつ応用の幅もある Statistics の方が、自分の将来像としっくり来る と感じるようになり、最終的に統計学専攻に落ち着きました。
Q. 出願時のGPAを教えてください。
A. 出願時のGPAは 3.96 です。 これは、ほぼすべての授業でAを取れたものの、夏の3週間集中講義の Linear Algebra(線形代数) だけが本当に大変で、その授業でAを取りきれなかった(=そこで4.0を逃した)という形です。 この線形代数は、3週間という短期間に内容がぎゅっと詰め込まれていて、とてもインテンシブなクラスでした。そこに、週20時間のコーヒーショップのバイトや、課外活動が重なっていたので、体力的にも精神的にもかなりギリギリの状態でやっていたと思います。 「4.0を取りたかった」という悔しさもある一方で、生活費を自分で稼ぎながら、課外活動も妥協せずにやっての3.96なので、「できることは全部やった」という感覚もあるGPAです。
— コミュニティカレッジでの生活・勉強 —
Q.コミュニティカレッジではどんな科目を履修していましたか?
A. 先ほどお話ししたように、もともとは Data Science を軸に考えていたので、 微積分・線形代数などの 数学系の授業 コンピューターサイエンス(プログラミング)の授業 統計学の授業 といった、Math × CS × Stats の授業をメインに履修していました。 また、UC編入のための IGETC やメジャーリクワイアメントも意識して、Math・CS だけではなく、必要な範囲の一般教養科目も取りつつ進めていました。
Q.GPAを維持するために意識していた勉強法や習慣はありますか?
A. 自分の場合、「勉強は最低限で、課外活動メイン」というスタイルではなく、勉強も課外活動も全部全力でやるタイプ でした。 - 週20時間のバイト - JSAの活動 - インターン - BUCHIの活動 これだけ詰め込んでいる中でGPAを維持するためには、空いている時間を全部勉強に回す くらいの意識が必要でした。 周りと比べても、かなり意識高く動いていた自覚はあります。「時間があるから勉強する」というよりは、「時間がないからこそ、ダラダラする時間を限りなく削る」というイメージです。
Q. コミカレで「この授業は本当に役立った」という科目はありましたか?
A. 全般的に、数学の授業はずっと楽しかった です。自分の場合、「楽しい=点数が取れる」という感覚があって、数学の授業では常に高い成績を出せていました。周りのクラスメイトに教える立場になることも多くて、「分からない人にどうやって説明したら伝わるか」を考えながら勉強することは、自分の理解の定着にもすごく役立ちました。その中でも特にやりがいがあったのは、Calculus(三角関数・微分・積分などの一連のコース) です。内容も難しく、量も多いけれど、「ここを乗り越えた」という実感が持てる授業でした。
Q. 授業・課題・テストで苦労したことは?
A.成績という意味で一番苦労したのは、やはり先ほどの 夏の3週間集中の Linear Algebra です。授業の進度がとても速く、内容も抽象的で、通常セメスターよりもはるかに圧縮されていたので、毎日かなり必死でした。
Q. 英語面で苦労した経験はありますか?どう克服しましたか?
A.英語で一番苦労したのは、授業よりもバイト先のコーヒーショップ でした。 アメリカに来て半年ほど経ったタイミングで、キャンパス内のコーヒー屋さんで働き始めたのですが、最初の頃は本当に何を言われているのか分からなかったです。お客さんの注文は速いし、指差しで「これ」って言われても、その「これ」が何を指しているのかも分からない。毎回アメリカ人の同僚を呼んで助けてもらって、「また聞き取れなかったのか」と思われるのもすごく恥ずかしかったです。 働くたびに挫折して、「正直、働きたくない」と思う日も多かったですが、それでも辞めずに続けているうちに、少しずつ耳が慣れてきました。 気づいたら、お客さんと普通にやり取りしながら、ラテアートを作れるくらいの余裕 は持てるようになっていました。 授業の英語ももちろん大事ですが、「生活の中の英語」「仕事の英語」に鍛えられた部分が、自分にとってはすごく大きかったと思います。
— 課外活動・バイト・インターン —
Q. 課外活動・ボランティア・学内バイトなど、何をしていましたか?
A.コミカレ時代は、とにかく色々やっていました。 - キャンパス内の コーヒーショップで週20時間バイト 経済的には厳しく、自分で家賃や食費を払う必要がありました。 - JSA(Japanese Student Association) への参加 日本人コミュニティの中で活動しつつ、イベント運営などにも携わっていました。 - インターン 日本の商品を海外に輸出する会社で、データアナリストのような役割を担当。 「どの商品がどの国でどれくらい売れているか」「どのアイテムを送れば売上が立ちそうか」といったことを、エクセルなどを使ってまとめていました。 - BUCHI留学の活動 アメリカの名門大学、特にUC系列の編入をサポートする学生団体で活発に活動していました。 どの活動も時間が取られる一方で、単なる「学生生活」では得られない経験をかなり積めたと感じています。
Q.それらの活動は PIQにどう活かされましたか?
A.実は、コーヒーショップのバイトに関しては、「チームワーク」や「コミュニケーション」に関する話として書こうとした時期もあったのですが、自分の中で「決定的なネタ」としては弱い と感じて、最終的にはPIQでは大きくは扱いませんでした。 代わりに、PIQでしっかり書いたのは主に以下の3つです。 - BUCHI留学での活動 - インターン経験 - JSAでの活動・リーダーシップ それぞれの活動について、 「何をやったか」だけでなく、 「そこで何に悩み、どう考え方が変わったか」 という「気づき」の部分を、かなり深掘りして書いたそうです。 タレント系の質問では、「聞く力」や「他人の意見を取り入れて最適なアイデアを出す力」をテーマに、自分の経験と結びつけて表現していました。 リーダーシップの質問では、野球部のような「上からの指示に従う組織」と、JSAのような「やる気も熱量もバラバラな組織」の違いに直面し、「指示だけでは人は動かない。まずは人の話を聞いて、一緒にゴールを決めることが大切だ」という気づきを書いています。
— 大学選び・UC志望理由 —
Q.UC(Berkeley / LA / SD)を志望した大きな理由は?
A.一番大きかったのは、世界的な大学ランキングへの意識 です。 「どうせ頑張るなら、世界的に見ても評価されている大学に行きたい」という気持ちが強くて、あるウェブサイトで「コミカレから世界トップレベルの大学に行ける」という情報を見たとき、「そんなことが本当にできるのか?」と衝撃を受けました。 その中に UC Berkeley や UCLA、UCSD などの名前があり、「このルートなら、自分もこういう大学を目指せるかもしれない」と思ったのが出発点です。また、DVCの周りの友人たちもほとんどがUCを目指していて、特に同じルームメイトだった福山くんが Haas に合格したのを近くで見たことも、「UCを目指したい」という気持ちを後押ししました。
Q.大学選びで重視したポイントは?
A.正直に言うと、大学選びの軸はほぼ「世界ランキング」一本でした。 本来であれば、 - カリキュラムの内容 - 研究分野 - キャンパスの雰囲気 - 立地や気候 など、いろいろな要素を考えるべきだと思いますが、当時の自分は「世界的に有名かどうか」という一点を重視していて、Berkeley・UCLA・UCSDの3校しか出願していない くらい、その軸に振り切っていました。
— 出願・PIQ・BUCHIサポート —
Q. PIQの準備はいつ頃から始めましたか?
A.本格的に書き始めたのは 8月頃 です。 BUCHIのプログラムに参加していたので、周りのメンバーと一緒に動く形で、わりと早い段階から取り組み始めることができました。
Q. PIQを書く上で意識したポイントは?
A.4つのPIQそれぞれに「核となる経験」を置いて、その中で必ず - どんな状況だったか - 何をしたか - 何に気づいたか・どんな変化があったか という流れが伝わるように意識しました。 タレントの質問では、「聞く力」や「他人の意見を吸い上げて最適な形にする力」について、BUCHIでの経験などを交えながら書きました。 リーダーシップの質問では、野球部時代の「トップダウン型の組織」と、JSAのように「やる気もバックグラウンドもバラバラな集団」の違いを通して、「まず相手の話を聞き、一緒にゴールを決めるスタイルに変えていった」という学びを言語化しています。
Q.アプライ準備で一番大変だったことは何でしたか?
課外活動を通じて得た「気づき」をちゃんと見つけること が一番大変でした。単に「こんなことをやりました」「こんな役割でした」と並べるだけでは、他の志願者と差がつきません。BUCHIのメンバーからも、「それは説明であって、“気づき”じゃないよね?」と何度も指摘されました。そこで、「自分はその活動の中で何に悩んだのか」「どんな壁にぶつかって、どう乗り越えたのか」「その結果、考え方や行動がどう変わったのか」というところまで掘り下げる必要があり、そのプロセスが精神的にも一番しんどかった部分だと思います。
Q.Buchi留学のPIQサポートはどんな印象を受けましたか?
自分の場合はかなり特殊で、BUCHIコアメンバーの家に泊まり込みでPIQ添削を受ける という、かなり濃いサポートを受けました。コアメンバーとはもともと仲が良かったので、「友達の家に泊まりに行く」という感覚もありつつ、朝から夜までずっとPIQを一緒に考えてくれるような環境でした。印象的だったのは、コミットメントの強さ です。企業系の添削サービスだと、一人の担当者が何十人も見ることもあるし、「はい、ここ直しましょう」「いいんじゃないですか」で終わってしまうケースもあると思います。それに対してBUCHIは、実際に自分の1〜2年前にUCに受かった先輩たちが、「その表現は浅い」「この経験はもっと掘れるはず」と、かなり踏み込んだフィードバックをしてくれました。しかも、一度の添削で終わりではなく、何度も書き直しに付き合ってくれたのが大きかったです。
Q. PIQを書いていく中で印象に残っているアドバイスやサポートはありましたか?
一番印象に残っているのは、「こんなんじゃ受からないよ」 という一言です。もちろん、ただ厳しいことを言いたいわけではなくて、「もっと良くなるのに、そこで止まってしまっているのはもったいない」という意図で言ってくれているのは分かっていました。それでも、その一言はかなり刺さりました。それがあったからこそ、「まだ出せる、自分はもっと出せるはずだ」と思って、何度もゼロから書き直しました。最終的には、「今の自分のベスト」と胸を張って言える文章が出せたので、あの厳しさがなかったら、ここまでのアウトプットにはなっていなかったと思います。
— 合格発表・UCSDでの生活 —
Q. 合格を知ったときの率直な気持ちを教えてください!
実は、最初に結果が出たときはかなりしんどい経験でした。UC Berkeley・UCLAともにウェイトリストで、ストレートの合格は一つもなかったからです。当時は、PIQの添削や出願準備に本当に多くの人が時間を割いてくれていたので、「こんなにやってもらったのに、ごめんなさい」という気持ちで、何人もの人に電話をして謝ったと話していました。「UCが全てではない」と励ましてもらったものの、正直、落ち込んでいたそうです。その後、UCSDのウェイトリストから繰り上げ合格の通知が来ました。ただ、そのときの感情は「やったー!」というよりは、「ああ、やっと決まった」という安堵に近かった です。それくらい、結果が出るまでの期間が精神的にきつかったということだと思います。
Q. 実際にUCSDに入ってみて、進学先としてどう感じていますか?
入ってみて思うのは、「どの大学に行くか」よりも、「そこで自分がどう過ごすか」の方が大事だな、ということ です。 もともとは世界ランキングをかなり気にしていましたが、今はUCSDのキャンパスや環境に素直に満足しています。 キャンパスは新しくてきれいで、スターバックスやファストフード店などもそろっていて、ちょっとした「一つの街」のような雰囲気があります。近くにビーチもあり、生活環境としてはかなり恵まれていると感じています。 Berkeleyのキャンパスは、いい意味でも悪い意味でも「歴史を感じる」雰囲気で、人によっては「ちょっと汚い」と感じる部分もあるかもしれません。それに比べて、UCSDは新しくて整っている印象があります。 そういった意味でも、「結果的にUCSDに来られてよかった」と感じる場面は多いようです。
— 後輩へのメッセージ —
Q. これから編入を目指す後輩へ一言お願いします。
一番伝えたいのは、「履修計画を甘く見ないでほしい」 ということです。自分は、英語の必修(English 1・2・3のような系列)を取るタイミングをミスしてしまい、最後の学期にまとめて履修する形になってしまいました。その結果、出願時点では「In Progress(履修中)」という表示になり、TAGが出せなかったり、合否の判断にも影響したと感じています。どれだけGPAが高くても、どれだけ課外活動を頑張っていても、必修の履修タイミングをミスるだけで足元をすくわれる ことがあります。なので、 - 先輩に履修計画を見てもらう - カウンセラーやBUCHIの先輩に早めに相談する - 英語やメジャーリクワイアメントは、できる限り早めに終わらせる このあたりは、本当に徹底してほしいです。自分のように、最後の最後で「英語がIn Progressだから…」という理由でチャンスを逃してほしくないので、これから編入を目指す人には、一つ一つのステップを丁寧に踏んでほしい と心から思っています。